「俺の隣にいてくれるアルバム」

文:沼田謙二朗

俺は孤独だ。散々だ。人生はこんなにみじめだ。もうやってられない。本当にいやになった。一日も早く立ち去りたいが去りゆく場所も覚悟もない。無だ。虚無だ。すべて徒労だ。なにをやっても無意味だし歩くと必ず足の裏がちくちく痛い。みると画鋲が刺さっている。誰だ。誰かが俺をはめようとしている。完全に罠だ。いつからこうなった。いつまで戻ればやりなおせる。いつから?


20234月。横田くんがワンマンライブのサポートギターに俺を誘ってくれた。

友だちはいない、と自負してきたが、いないわけではなかった。


1986年生まれの同い年。もう俺たちも36才だ。中年に入りはじめた人生のいざこざの最中に、このアルバム『ないんだって聞かされても』を千葉駅前のサンマルクカフェで聞いている。

いくつになっても、子どもっぽい。強さよりも、弱さがむきだしになって、ごまかせないで対峙する。弱さに向き合うのもエネルギーがいる。自問自答にも、疲れがくっついてくる。自分がたどってきた道の、その過程で、落としたもの、傷つけたもの、間違いだとわかったがなおせなかったもの、それらが無意識の水にもぐって、ちらちら顔を出して、黙ったまんまこちらを睨む。



いやだなあ。


それでも生きていかなきゃなんないので、勇気を取り戻さなきゃいけなかった。

横田くんのアルバムが、音楽が、歌が、俺の足取りの隣に、寄り添うようにいてくれる。

立ち止まったらいっしょに立ち止まってくれる。

失いかけたやさしさを教えてくれる。

等身大の自分を、そのまま受け入れさせてくれるような。


強くあろうとすればするほど、傷ついてしまう。弱さのあとに、やさしさがなければ、くさってしまう。

なんとか見苦しくなく生きていけるだろうか?

俺たちは、その方法を、なにに学べばいいだろうか?


世界のすべてが、むなしいハリボテにみえてしまったときに、水の底で鳴り響く、時代に殺されない表現の居場所があってほしい。

……もしかしたら、それが「幽霊」というやつのいる場所なのかもしれないが。



横田惟一郎を聞く。

傷ついたときには、傷つく。また歩き出すときには、歩く。

横田惟一郎は、そんなふうに隣にいてくれる音楽であり、友なのだ。



沼田謙二朗

HP: https://www.numa-ken.net/



写真:丸岡翔



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